子供の頃。
私はバレエを習っていた。
人生最初の思い出はこれじゃないか・・?というくらいに、古い記憶は、そのバレエ教室の記憶である。
その、バレエ教室は、違う時間に格闘技教室もやっていたようで。
バレエなのに、端にサンドバックがぶら下がっているという、なんとも不思議なバレエ教室であった。
幼かった私たちはそのサンドバックでしばらく遊び。
「はい、レッスンはじまるよ~」という先生の号令で、お稽古が始まった。
バレエの足の置き方は、1,2,3,4,5番とパターンがあって。
それを基本にジャンプをしたり、アラベスクといって大きく足をあげる練習をする。
お友達と遊びながらだったからかもしれないが、とても楽しい時間だった。
その教室は、幼児のみの教室だったようで、小学校に上がってからは違う教室に通うようになった。
そしてその教室に言った私の目に飛び込んできたのは、衝撃的なものだった。
そこのバレエ教室は某兵庫県内にある某歌劇団を目指しているお嬢さんもいらしたようだ。
今まで通っていた、お遊び程度の教室とはまた違う、「プロを目指す養成所」の所だったのだ。
そんなプロを目指すような教室に、3歳から通っている。
そんな人達の輪に入っている私・・・
確実に場違いである。
私は、この教室にきて数分で、辞めたくなってしまった。
レッスンが終わり、私は帰る事になったが、皆来月の発表会のリハーサルをしている。
皆軽やかに踊り、妖精が群れをなして雲の上を舞っているようだった。
しかし、先生は何が良くないのか分からないが、つねに子供たちを怒鳴り散らしていた。
私は、この時まで、バレエなんてほとんど遊びのようなものだと思っていたので
こんなガチな世界があるのかと、生まれて初めて目にする「ガチの世界」に戸惑っていた。
……気持ちはついて行かないが、教室に来たからには、言われるままにレッスンをやるしかない。
パッセ!アラベスク!シングル!ターン・・・!!
先生の言っている意味も分かるし、一応躍る事は最低限出来るけれど、
周囲と比べると、ちっとも美しく動けない。(笑)
母も姉も、そんな私を馬鹿にした。
私は自分が、全く動けない太ったブタさんのように惨めな気持ちになり、教室に入って数秒で辞めたくなった。
大きな鏡の前で、何人かと並んでやってみるが、自分の動きが恥ずかしい……
それでもサボらずに10年近く続けたのは、バレエが好きだったからではなく、母が怖かったからだった。(笑)
そのバレエ教室は毎年夏休みに発表会があるのだが、それに向けて、春ごろからレッスンに加え、発表会のレッスンが始まった。
私が与えられたのは「スペイン人形」の役だった。
左手を腰にあてて、右手を高く上に掲げ、顔はスフィンクスのように高く彼方を見上げる。
スペインらしい、「オ・レ」のポーズだ。
これらの踊りを1時間のレッスンで覚えなければいけない。
なんとか最後まで覚えたが、もともとやる気もなかったうえ、最初の振りが難しく、これだけがどうしても覚えられなかった。
私は上手く踊れないのが恥ずかしい・・・とは思っていたが、だからと言って上手くなりたいとも思っていなかったので、ただただ困っていた。
言うまでもなく居残りされ、先生とワンツーマンで15分くらい練習させられた。
いやだなぁ・・・いやだなぁ・・・・
なんども先生の真似をして、なんとなく形になったら返してもらったが、あんなに涙をこらえてやった練習は生まれてはじめてだった。
その後、中学受験を理由にバレエ教室は辞める事になり私はほっとしていたのだが
数年後、バレエをやっていて良かった・・・と、心底ほっとする事態になった。
入学した学校が、ダンス部が強い学校だったのだ。
毎年の文化祭は、ダンス部の催しがされ鳥肌ものだった。
高校の体育祭は全員参加のダンスがある。
ダンス部じゃない人でも学校全体がダンスに力を入れていた。
あの時バレエ教室にかよっていなかったら。
あの先生が熱心に、個人レッスンしてくれなかったら、私はその学校の雰囲気についていけなかっただろう。
中途半端に投げ出して、一人で教室のすみっこで何となく過ごしていたかもしれない。
難しい事も。何度もやれば覚えるし、形にする事は出来ると知った。
それを教えてくれたのは、「通いたくなかったバレエ教室」の先生なのかもしれない。
現在、私が通っていたバレエスタジオは大きくなり、関西に複数の教室を持っているようだった。
私を居残りで教えてくれた先生もお元気でいらして、SNSを見ると教室の皆と楽しく笑っていた。
正直バレエを習った事は、今の生活でなんの約にも立てていない。(笑)
それでも、あの先生が受けさせてくれたレッスンは、私の人生で、通って良かった大事な通り道だと思っている。
現在の私はバレエをしないし、娘たちもバレエはしていないが、私の青春時代はこのお陰で豊かなものになったと思っている。
